国民栄誉賞受賞の植村直己さんの足跡を一覧にしてみました

国民栄誉賞を受賞した偉大な冒険家植村直己の足跡を辿る

1941年2月12日兵庫県城崎郡国府村(現・日高町)に生まれ、明治大学の山岳部入部し登山に没頭する日々を過す。大学時代の同僚の海外遠征に触発された彼は、大学卒業後アルバイトで貯めたお金を元手に1964年移民船に乗りアメリカへ渡る。海外の山に憧れた青年は過酷な労働に耐え、日本への強制送還危機を免れ、度胸愛嬌根性努力で困難を乗り切り、世界五大陸最高峰、北極点、グリーンランド、南極大陸など名だたる山の登頂を果たしていく。そして、1984年2月世界初のマッキンリー冬季単独登頂成功。その日は彼の誕生日でした。が、その翌日、消息を絶ってしまう。同年4月、国民栄誉賞を受賞。若かりし頃、がむしゃらに夢に向かってもがき続けた日々を綴った書籍「青春を山に賭けて」は長く愛読され、登山をしない人でも熱く生きる気持ちの強さに心揺さぶられます。若い人だけでなく、大人が読んでも気持ちが動きます。彼の偉業を讃えた「植村直己冒険館」は故郷である兵庫県豊岡市日高町にあります。

年  月 彼 の 冒 険
1965年(24歳)4月 ゴジュンバ・カンⅡ(7646m)初登頂<明治大学ヒマラヤ遠征隊>
1966年(25歳)7月 ヨーロッパ最高峰モンブラン(4807m)単独登頂
1966年(25歳)7月 マッターホルン(4477m)単独登頂
1966年(25歳)10月 ケニア山レナナ峰(4985m)単独登頂
1966年(25歳)10月 アフリカ最高峰キリマンジャロ(5895m)単独登頂
1968年(26歳)2月 南米最高峰アコンカグア(6960m)単独登頂
1968年(26歳)4月 アマゾン河の源流から河口まで約6000キロを2か月かけて、いかだで下る
1970年(29歳)5月 日本人初の世界最高峰エベレスト(8848m)登頂<日本山岳会遠征隊>
1970年(29歳)8月 北米大陸最高峰マッキンリー(6194m)単独登頂。世界初の五大陸最高峰登頂者となる
1971年(29歳)1月 グランド・ジョラス北壁(4208m)を完登
1971年(30歳)8月 日本列島3000キロ徒歩で縦断 8/30北海道・稚内出発~10/5故郷・日高町~10/20鹿児島到着
1973年(32歳)4月 往復3000キロの犬ぞり旅に成功<シオラパルク~ウナビック往復>
1974年(33歳)5月 野崎公子さんと結婚
1974年(33歳)12月~1976年(35際)5月 北極圏12000キロ単独犬ぞり旅成功<グリーンランド ケケッタ出発~コツェビュー到着>
1976年(35歳)7月 ロシア コーカサス地方最高峰エリブルース(5642m)登頂
1978年(37歳)4月 17頭の犬にひかせたオーロラ号で北極点に単独到達
1978年(37歳)5月~8月 世界初グリーンランド3000キロ犬ぞり縦断成功<グリーンランド北端モーリスジェサップ岬出発~南端到着>
1980年(39歳)8月 厳冬期の南米最高峰アコンカグア(6960m)に2度目の登頂
1981年(39歳)1月 日本の登山隊長として、冬期エベレスト登頂試みるが断念
1982年(40歳)1月 南極大陸横断と同大陸最高峰ビンソン・マッシフ登頂のため南極に向かうが、フォークランド紛争のためアルゼンチン軍の協力が得られず、12月計画断念
1984年(43歳)2月 12日午後6時50分、世界初のマッキンリー冬期単独登頂成功。翌日、チャーター機との交信で登頂成功を伝えた後、消息を絶つ
1984年4月 国民栄誉賞受賞

 

植村直己さんに関する書籍

「青春を山に賭けて」(文春文庫)植村直己

「北極に駆ける」(文春文庫)植村直己

「エベレストを越えて」(文春文庫)植村直己

「北極圏1万2000キロ」(ヤマケイ文庫)植村直己

「植村直己 妻への手紙」(文春新書)植村直己

「冒険」(小学館文庫)植村直己

「植村直己の冒険学校」植村直己

「植村直己記念館」(文芸春秋)足跡を辿った写真で迫る大型本

「植村直己 夢の奇跡」(文春文庫)湯川豊  親交のあった湯川氏による書籍

 

彼の偉業はDVDになってるよ!

「植村直己物語」主演:西田敏行