深い闇の中に瑠璃色に煌く斑紋。光が当たると光彩の移動により、また見る角度によって、宇宙の銀河系のよう。吸い込まれそうな世界が広がっています。でも、それはごくごく小さな、口径13.6cmの茶碗なのでした。
<現存する茶碗は全て日本にある!>
現在世界に四碗しかないと言われている曜変天目茶碗。その全てが日本にあります。
三つが国宝、一つは重要文化財です。
<その茶碗、中国で作られていた>
南宋時代、中国福建省でごく限られた期間にのみ作られ、それ以降作られていないそうです。破片は中国で出土していますが、碗状のものは日本にしかないそうです。
そして、このような文様がなぜ現れるのか完全に解明されていないため、再現不可能と言われています。
<国宝の三碗、重要文化財の一碗。日本のどこにあるか?>
種類 | 所在地 | 所 蔵 | 解説文(文化庁データベースより) |
国宝 | 東京 | 静嘉堂文庫美術館 | 摂津淀の稲葉家に伝わったことから、一般に稲葉天目の名で知られる名碗。内部の斑紋が青や黄色に輝き、漆黒の釉薬を絢爛たるものにしている。薄紫色の輪形に輝く部分があり、玄妙な趣がある。 |
国宝 | 京都 | 大徳寺龍光院 | 静嘉堂、藤田美術館の曜変天目茶碗と共に、大名物として著名な茶碗である。星紋の粒が小さく、青光も細く短くて、稲葉天目のような華麗さはないが、深い趣や格調がある。 |
国宝 | 大阪(*2019年現在改修中のため所在は奈良) | 藤田美術館 | もとは水戸徳川家に伝わった天目茶碗。静嘉堂、龍光院の曜変天目茶碗と並んで曜変中の三絶とされている。曜変は稲葉天目ほど鮮やかではないが、内外両面に美しいよう変のあるのは本茶碗だけで、大名物として古来とくに珍重されたものである。 |
重要文化財 | 滋賀 | MIHO MUSEUM | 本茶碗は加賀前田家に伝わり、古来より珍重されている。もともと前田家に伝わった曜変天目は二つあり、もう一口は根津美術館の所蔵である。根津美術館の曜変はむしろ油滴天目とよぶべきもので、曜変天目として名高いのはこの茶碗と言われる。 |
<今回見てきた曜変天目茶碗>
日本にしかない曜変天目茶碗の一つを奈良国立博物館で目にすることができました。
間近で見るために30分並びました。並ばないとロープを張った1mほど離れた場所からしか見れないため、茶碗の中をのぞく事はできません。
大きさ <高さ6.8cm 口径13.6cm 高台径3.6cm> 小宇宙ともいうべき逸品です。
大阪の藤田美術館が所蔵しているものです。藤田美術館は2019年現在改修中(2022年春開館予定)のため、奈良国立博物館でそのコレクションを見ることができたのです。
ぜひ、国内の所蔵の4つの茶碗を見てみたいものです。
<藤田美術館は曜変天目茶碗を何故所蔵しているのか?>
藤田美術館は藤田傳三郎と2人の息子が集めた作品をもとに1954年開館し、現在国宝9件、重要文化財53件を所蔵しています。藤田傳三郎は幕末長州・萩(現山口県萩市)に生まれ、動乱期には高杉晋作に師事し騎兵隊に参加、木戸孝允、井上馨、山縣有朋らと交遊関係にありました。明治初頭からは大阪で事業を起こし近代日本の基礎となった産業(土木・紡績・鉄道・電気・新聞など)、大阪の財界発展に大きな功績を残し、現大阪商工会議所の第2代会頭となった人物です。明治維新後、海外流出していく日本の文化財を憂慮し、藤田財閥の資材を投じて、散逸の危機にあったさまざまな分野の美術品を収集、保護したのでした。
<織田信長も所蔵していた?>
幻の曜変天目茶碗として言われているのが、織田信長所蔵だったもの。かつて足利義政から譲り受け手元に置いていたが、本能寺の変の際、焼けてしまったそうです。徳川家も所蔵していたすれば、織田信長が所蔵していたのは全く不思議ではなく事実だと考えられています。
<国宝と重要文化財>
国宝や重要文化財は年に公開できる回数や延べ日数(原則年2回以内、述べ60日以内など)が定められています。そのため曜変天目茶碗を見ることができる時期は限られています。訪問の際、公開の有無を適宜ご確認ください。
<藤田家に関連する施設>
どこも一度は耳にしたことのある場所ではないでしょうか。
お食事したい場所、宿泊してみたいホテル。
太閤園 | 大阪市都島区網島町9-10 | 藤田家本邸 | |
椿山荘 | 東京都文京区関口2-10-8 | 二代目藤田平太郎別邸 | |
洛翠庭園 | 京都市左京区南禅寺下河原町 | 傳三郎の甥・藤田小太郎別邸 | 現在非公開のようです |
ホテルフジタ京都
(現在は閉められ、跡地でリッツカールトン京都が営業しています。) |
京都市 | 傳三郎別邸 |
|