軍艦島 | 日本最古の鉄筋コンクリートアパート「30号棟」に栄枯盛衰の歴史を感じます


 
軍艦島(正式名称は端島(はしま))は長崎港から南西に約17.5キロメートル行った海上にあります。名の由来は、大正時代、日本海軍の戦艦「土佐」に形が似ていることから、「軍艦島」と呼ばれるようになったそうです。2015年には、軍艦島を含む「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が世界文化遺産に登録されました。
 

 
 
 
軍艦島のマスコット「ガンショーくん」を残し、我々を乗せた船は長崎港を出発します。
 

 


 
現在、軍艦島に上陸が許されているクルージング会社は5つです。各社、1日2便ずつ出航しています。長崎港を出発して40分ほどすると、軍艦島が視界に入ってきます。
 



 
 
 
軍艦島は明治時代から昭和時代にかけて炭鉱の島として栄えました。特に三菱が1890年(明治23年)に所有者となって以降、急発展を遂げ、1941年(昭和16年)に出炭量の最盛期を迎えました。人口が最も多いときには、5000名以上の人が、南北約480メートル、東西約160メートルの島に住んでいました。人口密度は世界一。東京特別区の9倍以上に達しました。
 

 

 
上陸すると、廃墟となった建物を間近で観ることができます。見学コースは予め決められており、ガイドさんの誘導のもと舗装された道を歩きます。
 


 
 
島には、住宅のほか、学校、店舗、病院、寺、映画館、理髪店、パチンコ屋などがあり、島内で生活がほぼ完結できる機能を備えていました。また、1916年(大正5年)には日本初の鉄筋コンクリート造の集合住宅が建設されました。炭鉱で働く人達の給料は約20万円(当時の新卒社員の給料は平均5万円)。昭和30年代前半に3種の神器と呼ばれたテレビ・洗濯機・冷蔵庫は、全国普及率が約20%だった時代に、島内のほぼ全ての家庭に設置されていたそうです。このような一面だけみると恵まれていたようですが、作業によって多数の死者を出したという悲しい歴史も存在します。
 

 
 
1960年以降、石炭から石油への燃料転換に伴い衰退し、1974年に閉山。無人島になりました。ツアーの最後には、1916年(大正5年)に建てられた日本最古の鉄筋コンクリートアパート「30号棟」を観ました。劣化が進んでおり、いつ崩壊してもおかしくないとのこと。軍艦島の栄枯盛衰を象徴する建物だけに保全をとの声もありますが、技術的・資金的に難しい面もあるそうです。
 

 

 
長崎での体験プラン(ACTIVITY JAPAN)