会津若松の観光名所である飯盛山を紹介します。
アクセス
東京駅から東北新幹線で郡山駅まで行き、磐越西線に乗り換え、会津若松駅まで行きます。そこから、周遊バスの「ハイカラさん」や「あかべぇ」に乗り、「飯盛山下」バス停で下車、徒歩5分の場所にあります。
周遊バス「ハイカラさん」
会津若松駅
会津若松駅
会津藩の道徳律「什(じゅう)の掟」
赤べこ。横にあるボタンを押すと喋り始めます。ぜひ試してみて下さい。
コインロッカー
コインロッカーは、会津若松駅の駅舎を出たところ、左右2か所にあります。
マルモ食堂
飯盛山に向かう前に、まずは腹ごしらえ。会津若松駅を背に直進し、信号を渡った駅近にある「マルモ食堂」に入りました。
昔ながらの食堂の雰囲気で1人でも入りやすく常連客も多そう。
会津でカツ丼と言えば、ソースカツ丼。戦後に洋食店で提供され広まったと言われています。サクッとした衣にソースが合い、美味しかったです。
映画「ラプラスの魔女」のロケ地として使われたようです。
飯盛山
飯盛山に上る階段
飯盛山の山頂までは183段の階段を上らないといけませんが、有料のスロープコンベアを利用すれば、山頂付近まで楽に行くことができます。
白虎隊
会津藩は、鳥羽伏見の戦い(1868.1.27~1.31)の後、組織改革を行い、年齢別に4つの部隊を編成しました。
・白虎隊(16~17才の武家男子で構成される予備隊)
・朱雀隊(18~35才の実戦部隊)
・青龍隊(36~49才の国境守備隊)
・玄武隊(50才以上の予備隊)
1868年の戊辰戦争(新政府軍 vs 徳川幕府軍)で幕府軍に組した会津藩。本来は予備隊であるはずの白虎隊にも出陣命令が出されます。しかし、多勢に無勢。敵に追い詰められ、たどり着いたのが飯盛山。そこで煙に包まれる城下町を目にし、落城したと思い込み、自刃します。
自刃の地には、南西の鶴ヶ城の方向を向いて白虎隊の石像が建っています。
近くには、自刃した19名の白虎隊士の墓があります。
この時、唯一、一命を取り留めた飯沼貞吉の墓もあります。この貞吉によって白虎隊の悲劇が世の中に伝えられました。貞吉は、後年、電信技師となり、日本の電信電話の発展に貢献し、1931年、76歳で生涯を終えました。
さざえ堂
国の重要文化財に指定される「さざえ堂(旧正宗寺)」は飯盛山の白虎隊の墓から西北側60mの場所にあります。
1796年に郁堂(いくどう)和尚が考案し建立した六角三層で高さが約16mの建物です。
正面入口から建物の中に入ると、階段ではなく、螺旋状のスロープが備わっています。一方向式で、人とすれ違わずに上り下りができる、世界にも例のない独創的な構造になっています。
スロープには、滑らないように横木が細かく配置されています。